般若寺ご住職のお話
 

南朝、後醍醐天皇、大塔宮を調べているうちに貴会のHPに出会い早速に入会申し込みさせていただきました。

私は般若寺の住職で、満64歳、住職暦40年を数え名刹の復興に生涯をささげようと精進しています。


 さて、般若寺の由緒、歴史を簡単に説明します。

まず開基は飛鳥時代、「三論宗」を伝えた高句麗僧慧灌(えかん)法師。

奈良時代には聖武天皇が平城京の鬼門鎮護として当山に大般若経を埋納し伽藍を整えられる。

学問寺としての伝統をもち学僧千人を集めたそうです。

ところが平家の焼き討ちにより伽藍は焼亡し、廃墟同然になっていたのを鎌倉時代に観良房良慧(りょうけい)師が

東大寺復興に来朝した宋人石工伊行末(いぎょうまつ・いのゆきすえ)を用い、

十三重大石塔を完成させ、西大寺の叡尊上人らの支援をうけ伽藍の復旧されました。

当時の上人たちの貧窮者、病者への救済活動は日本の福祉の原点と称えられます。

 

般若寺と大塔宮との関係は、「太平記」によると、

元弘の変の時、後醍醐天皇様と共に笠置寺に立て籠もり幕府勢を相手に戦われ、

城が落ちた後、般若寺へ潜伏されたのですが、

敵の探索を受けた際、大般若経の唐櫃に潜まれて危難を遁れられ、

無事熊野へ落ち行かれたと記されます。

唐櫃は今も寺に一合だけ現存します。

また大正7年制定の「尋常小学読本」には「般若寺の御危難」として宮様の絵と共に載せられます。

さらに大正2年作の唱歌「大塔宮」の1番に般若寺あわれと歌われます。

 

そして当寺御本尊文殊菩薩さまは、昭和30年代の学術調査により銘文が発見され、

「元亨4年(正中元年と改元)3月7日造立、文観上人発願、藤原兼光施主、康俊大仏師、願文に金輪聖主御願成就」

と記されています。

「金輪聖主」は仏教の理想の王、転輪聖王のことで後醍醐天皇をさすと言われます。

文殊菩薩には数種類あり、当山のは「八字文殊」であり「御敵調伏」に効験あるとされますので、

まさしく後醍醐天皇様の勅願を受けて文観上人が造像と御祈祷をされたものと思われます。

歴史学者網野善彦氏の「異形の王権」に詳しく書かれます。

おそらく最新の後醍醐天皇の御聖蹟にあたると思われます。


 最後に笠置山で戦った般若寺本性房と北畠顕家卿の「般若坂の戦い」も当山にかかわる事績として

顕彰するつもりです。




    大塔様 後醍醐天皇とご縁の深い

    般若寺のご住職が 般若寺の由緒 歴史など お知らせくださいました。

    知らされずいる南朝の歴史を

    こうして 世の中に伝えられる幸せを感じています。

    また お会いして 詳しいお話を聞かせていただきたく感じております。



般若寺 工藤由任住職様